受験勉強をしているとふと思うことがあります。
古典ってなぜ勉強するのでしょうか?
本当に将来役に立つのか?
やる意味あるの?
僕は「ある!」と思っています。
(理由は後程)
今日はそんな疑問の否定的な意見や肯定的な意見、納得できる意見をまとめました。
一旦ペンを置いて一緒に考えてみましょう!
古文意味ある?Twitterでの意見
否定的な意見
英語は将来使うかもしれないけど、古典は勉強する意味がわからない。 #高校生ツイート
— 高校生ツイートbot (@kokotweet_sh) February 24, 2020
https://twitter.com/Kou_11_10/status/1230814360726978560
これ以外にも「将来使わない古典は勉強する意味がない」という意見が多いようです。
肯定的な意見
これは何回も呟いていますが、「古典は受験のために勉強する」という姿勢はあながち間違いでもなくて、単語や文法の暗記(=努力に比例)、それらを論理的に組み合わせる読解(=地頭)、それによる解答(記述、表現力)を試すという意味で「振り分け機構」という役割を持つ受験の科目としては最強なんですよね
— estana. (@mqi35) October 6, 2019
暗記したものを、論理的に組み合わせて解答用紙に表現する学習という考えには納得できますね!
しかし実際のところ、高校で勉強している数学や歴史の意義を考えてみようとも思わない人間が、まだ学んだことのない領域の意義なんて評価できるはずがない。僕も未だに高校で勉強させられた古典の意味が全く分からないけど、それに関係する学問分野をしっかり勉強するまで分からないものなのだろう。
— H.Takano|意識の高い学士 (@midwhite) September 14, 2013
古文意味ある?Yahoo!知恵袋の回答
知恵袋で見つけたかなり納得のいく理由がこちらです。
別に古文じゃなくたっていいんです。
要は
大学受験の勉強をさせて
一定の基礎情報を使って応用の内容がどの程度分かるのか?
という情報処理能力を測ってるんですよ。センター試験なんかの古文もそうですが、
入試最低必要基礎古語は315です。それに文法のお約束を合わせて覚えたら
あなたは実際の古文を読めますか?
と聞かれてるのですよ。
つまり応用力ありますか?
というわけ。古文が選ばれたのは
別に教養だとかそんなもんじゃなく
ただ単に問題が作りやすく
国語科目なだけに読解力もはかれると思ったからじゃないですか。だから古文ってセンターでは選択式じゃなく必須なんですよ。
応用力がはかれますからね。それに比べて社会が選択式なのは完全な暗記問題だからです。
社会こそ単なる教養です。大学は別に暗記が出来るやつが欲しいわけじゃない。ちゃんと基礎知識を使って実践的な応用がきく人間が欲しいんです。あと読解力のある人ね。
ここで誤解してほしくないのは
古文は暗記科目じゃないのか?
ということ。
暗記科目じゃないですよ。
そう思ってる人は一生センター古文で点数を取れません。
むしろそう思うからこそだめなんです。
国語なんだから読解力を試しているんです。
現代文でも基礎的な熟語を知らないと文章読めませんよね。
あれと同じである程度は基礎的な部分を暗記する必要はあります。基礎古語などですね。
しかし残りはそれを使ってどう読解するのか?ということに限られます。
古文は学習を始めた時期も遅く
みなすぐ対応出来る訳ではありません。だからこそうってつけなんです。
現代文のように蓄積がない。
それを受験生がどう対応してくるのか?
そこじゃないですか?大学が見てるのって。
わたしは古文の意義はまさにここにあると思いますよ。
この回答はかなりしっくりきます。
古文をやった人、全くやらなかった人
どっちのほうが情報処理能力があるかなんて聞かなくても分かりますよね。
大学受験で数値化しようとしているのは、結局、高校生の時に一日何時間勉強したか、をみごとに表す点数という数値です。古文は時間がかかる科目です。
ストレス耐性をはかるのによい科目でしょう。
受験にある理由を考えてしまうということは、ストレス耐性が高くないということ。
中高年が大好きな伝統の型を学ぶのだと割り切るしかないと思います。
入社しても研修で意味不明のことをいっぱいやらされます。なんでこんなことをやらされるんだろうという人は、退社していく、
企業も、社会も、がまんして型を学んでくれる人、ストレス耐性の高い人を求めているのです。
受験勉強のため、ストレス耐久のためと割り切っている意見もありました。
古典意味ある?文部科学省の考え
高校で「古典を学べ!」と決めたのは文部科学省です。
ここはやはり、文科省にきくのが一番手っ取り早いのかもしれません。
文科省の高等学校学習指導要領「国語編」を見てみましょう。
【古典探究】 ・共通必履修科目「言語文化」により育成された資質・能力のうち,「伝統的な言語文化に関する理解」をより深めるため,ジャンルとしての古典を学習対象とし,古典を主体的にみ深めることを通して伝統と文化の基盤としての古典の重要性を理解し,自分と自分を取り巻く社会にとっての古典の意義や価値について探究する資質・能力の育成を重視して新設した選択科目である。
うーん、とっつきにくい内容ですが要約すると
「古典を学ぶ中で、日本の伝統、文化、今の社会は古典が基盤になっているってことに気づいて」
と書いてあります。
確かにそうなんだろうけど高校生には納得しがたいですよね…
「これで勉強しろって言われても…」って感じです。
おやぶん・あっしーの考え
最後に僭越ながら僕の考えを書こうと思います。
ちなみに僕は「意味ある派」ですのでこれを読んで少しでも古典をやる気になってもらえたらうれしいです。
僕の意見は「古典を勉強しないなんてもったいない!」です。
確かに簡単には読めないし、読解は難しいですが
読んでみると面白い文章ばっかりなんです。
とんちのきいた話やちょっとエッチな話が問題に出ることもあります。
読めれば楽しいんです。
読まないなんてもったいない!
これは古典に限った話ではありません。
他の教科にも言えます。
小説の全然知らない人になぜか感情移入できちゃうワクワク感を味会わずに死ぬんですか?(現代文)
なんでフランスでワインが有名か知らずに死ぬんですか?(地理)
青空がなぜ夕方赤く染まるのか知らずに死ぬんですか?(物理)
1000年以上読まれている超超ロングセラー作品を読まずに死ぬんですか?(古典)
そんなのもったいない!!
受験は楽しんだもの勝ちですからね!
「もったいない精神」でいきましょう!
私は家庭教師をしています。古文を教えることもあるのですが、興味のない生徒に、なぜ古文やるの、と聞かれて、上記の文科省の主張や、「意味ある派」のような回答をするのですが、それでやる気が増した様子の生徒を見たことはありません。
そしてたまに、古文大好きな生徒に会うのですが、その生徒には、なぜ古文やるの、と尋ねられることはありません。
やりたくない生徒の、「やりたい人だけやればいいんじゃない?」という意見に、自分の立場上反論しますが、いつも忸怩たる思いがあります。
生物にとって重要なことは、食べることとと子孫をつくること。ヒトにとっても同じです。だから、伝統や教養などといっても興味を持ってくれません。
「古典の家庭教師は時給がいいよ」と伝えたほうが効果があるでしょう。